中年の発達、10年の複雑

発達心理学の話が途中でなぜかCHAGE and ASKAの話になります


誕生日を迎えても、毎年ひとつずつカウントアップされる整数でしかない年齢のことは意識しないし、それを誰かに言うこともない。まして「アラサーなんで」「アラフォーですから」みたいな年齢を四捨五入してこっちは若者こっちは年寄りみたいに区切る言葉は過去一度も使ったことがない。なぜなら、そうした人生観は、血液型占いと同じように無根拠だし、間違ってるし、ときには害悪だとさえ思っているからだ。

若さと老いを二項対立で捉える考え方は世の中に深く根付いているが、それでふと、村上春樹の「プールサイド」(『回転木馬のデッドヒート』収録 1985年)という短編を思い出した。この作品のおもしろさは、35歳という年齢を人生の折り返し地点だと定義しその信念に従って生きる登場人物の滑稽さにあるのだが、作者はそれをそうとは断定せずに読者に判断を委ねていて、それが良い味わいになっている。読む人によってはこの滑稽さがわからないかもしれず、それこそがまさに、若さに固執する世の中の病理を読者につきつけていると考えることができる。私見では、この男は後の『国境の南、太陽の西』(1992年)で主人公の原型になるようなキャラクターだ。成人期の発達課題につまづいて、中年期にそのつけを支払わされる人物である。

つまり人生には季節(ライフサイクル)があり、いずれにも長所と限界があるということである。どの季節のほうが優れているとか、どの季節のほうが重要だとか、そういうことはない。それぞれの季節に直面する発達課題があり、それは移り変わっていく。「若さ」や「老い」だけで行われる判断は単に間違っているだけでなく、本来なら取り組むべき発達課題から目を背けさせてしまう害悪ですらある。そんな風に考えて、私は自分や他人の「年齢」をどうでもいいことのように扱う。しかし代わりに、私たちがどの「季節」にいるかをよく意識する。

何歳までに何をやるべきか

その季節を判断する材料のひとつとして、1on1の機会に使っているのが以下の記事。28歳、34歳、40歳、50歳を節目に、何歳までに何をやるべきかという課題がまとめられている。一部を抜粋すると、たとえば34歳から40歳においてはこんな調子。

「34歳から6年でやるのは、「自分の再発見」だ。」
「……再発見?」
「私はいつも言っている。34歳までは、仕事を選り好みするな。選り好みする奴は奴はバカだ。逆に、34歳を過ぎたら、仕事を選り好みしない奴がバカだ。いつまでも弱点を克服できると思うな。もうお前はそう変われない。」

自分のキャリアの作り方。何歳までに何をやるべきか。

成人してからの人生なんてそれぞれまったく異なるはずなのに、奇妙なくらい心当たりがある、そういう不思議な感覚がしないだろうか。しかしその不思議な感覚というのは、「幼児期から青年期までは共通した発達段階があるが、そこから先の成人期や壮年期にはそれがない。人それぞれである」という思い込みからくる。しかし実際には、どの季節にも、パターン化できるような共通した発達段階と発達課題が見いだせるのである。

私がそうした考え方をするようになったのは、二十歳のころに大学のゼミで『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン 1992年)を読んだのがきっかけ、のはず。たぶん。それを確かめるべく久しぶりに再読してみたら、中身をまるっきり忘れていることにも驚いたが、にも関わらず、その基本的な考え方が自分に染み付いていることにも驚いた。
本の冒頭にこんな言葉が載っている。「成人の人生の具体的な性格は、今日の社会で、そして恐らく人間の歴史全体にわたって、もっともよく守られている秘密のひとつである」と。この本ではその秘密が明かされるわけだが、それは私のなかで、ディテールが剥がれ落ちてもフレームワークだけは残るような強力なものだったということだ。その一部を紹介する。

限りある命と知ることは、自己をもっと完全なものにするために、若い自己が死んで行くのを悲しまなければならないということである。それにはある程度の危機や絶望を体験しなければならない。これは「人生半ばの過渡期」にはじまるが、中年期を通して続き、次の発達期には新しい形をとって現れる。(上巻 p59)

中年期の特別な発達課題は、自分自身の中および他人の中の子どもの部分と年長者の部分の両方にもっと気づくようになることである。この課題を果たすと、ある程度世代間の壁を乗り超え、あらゆる年齢の人ともっと十分に人間的な形で人間関係をもてるようになる。(上巻 p62)

生産性もその対局にある停滞性もともに、人間の発達に欠かせないものである。生産力をもつには、停滞する−−成長せず、義務にしばられ、自我の実現などまったくない人生にはまり込んで動きがとれないと感じる−−とはどういう気持ちなのかを知らなければならない。死んでいくとは、その死の影におびえて生きるとはどういうことなのか知らなければならない。
停滞を体験し、停滞に耐え、停滞と戦う力というのは、中年期に生産性を求める努力につきものの一面である。停滞性はまったく否定すべきものでもなければ、完全に回避すべきものでもない。停滞性は中年期を通じて発達上必要な役割を果たす。(上巻 p66)

曰く、若い自己を取り戻そうとするのではなく、その死を悲しむべし。
曰く、自他の子どもの部分を子どもの部分のままに発見すべし。
曰く、停滞を体験し、耐え、戦うことに大事な意味があると知るべし。
なるほどと膝パーカッションしつつ、思わず太字にしてしまった。成人期の感覚からすると目うろこフォールかもしれないが、今年40歳になった私には、これこそが中年期の課題だよなと深く頷けるものだし、それがパターン化され得るものであるというのは希望である。

思うようにはいかないものをどうすべきか

『ライフサイクルの心理学』では、中年期だけでなく成人期にも多くの章が割かれており、なかでも新米時代の重要な発達課題としてあげられている「<夢>をもち、その夢を生活構造の中に位置付ける」(p164)という一節が非常に印象に残った。なぜといって、自分もかつてその課題と格闘し苦しんだことがあったし、現在のことで言うなら、中年期の課題のひとつである「20年ほど歳が離れた人との関係構築」というテーマに直結するからである。一世代離れた若い後輩がどのような支援を必要としているかを理論的裏付けをもって理解するのは、個人としてもピープルマネージャーとしてもためになる。

というようなことを考えていたら、ふと、 CHAGE and ASKAの「PRIDE」という曲を思い出した。飛鳥涼が30歳か31歳のときの作品ということになるが、これはまさに、夢を生活構造の中に位置付けることのできた若者が、やがて停滞性との折り合いをつけなければいけなくなる、その長い戦いの季節を歌った作品である。

思うようにはいかないもんだな
呟きながら階段を登る
夜明けのドアへたどり着いたら
昨日のニュースと手紙があった
折れたからだを
ベッドに投げ込んで
君の別れを何度も見つめてた
伝えられない事ばかりが
悲しみの顔で駆けぬけてく
心の鍵をこわされても
失くせないものがある プライド

PRIDE 作詞作曲: 飛鳥涼(1989年)

ファンの間では聞き飽かれているくらいの有名曲だが、こうやって向き合ってみると、まさに中年の発達課題そのもので、あらためて胸に迫ってくるものがある。シングルになったわけでもないアルバム収録曲が、ファンの熱い支持によってカラオケを通じて歌い継がれ、やがてCHAGE and ASKAの代表曲のひとつになっていくのには、やはり理由があるよなと合点した。

だんだんと好きな話の垂れ流しみたいになってきたので最後にひとつだけ。

個人にライフサイクルがあるように、法人にもそれがあるのかもしれない。そう考えてみると、たとえば「永久ベンチャー」を標榜することが馬鹿げた考えであると断言することができるし、少なくとも、それが成熟を拒否することであってはいけないよなと顧みることができる。また、ベンチャー企業があえて効率の悪い新卒採用に踏み切るのは、成人期の企業として社会的責任を負うという発達課題への取り組みだと言えるかもしれない。

最近よく思うのだが、「大企業病」というものは存在しない。もしあるとすれば、同じように「ベンチャー企業病」もあるのかもしれないが、いずれも血液型占いのような文脈でしか使えない軽い言葉である。
つまり大企業対ベンチャーという二項対立は存在せず、企業が年経ていく過程で、その季節(ライフサイクル)に応じた発達過程と発達課題があるだけである。それらに折り合いをつけながら進むのは、まさに中年期の企業人の仕事であり、地味ながらハイレベルな統合に奮闘している英雄は誰なのかということに、いまでは気づけるようになった。昔はそれがわからなかった。

思うようにはいかないもんだなと呟きながらひとつひとつ階段を登る。こうした中年の発達は、季節がまるごとひとつ変わるまで長く続く。そして10年の複雑を生き延び、違う季節に同じ友人と再びめぐりあうのは実に愉快なものである。幼児期〜青年期の友情と違って、成人期〜中年期の友情は頻繁なコミュニケーションを必要としない。そうしたものがなくても、相手のことが十分に想像できるようになっているからだ。

なんの話だっけな。

20年ほど歳が離れた後輩に伝えることがあるとすれば、あれだ。アラサーとかアラフォーとかアラフィフとかいう言葉を、表面的な会話の道具として受け入れるのはいいけど、背後にある人生観は真に受けるなよ。ってことだ。

ちなみに、「20歳ほど歳の離れた後輩はあなたのことを兄貴や先輩とは思わず父親と同じくらい遠い存在と捉えるので、フラットな態度で接するカジュアルなコミュニケーションは通用しない。それに相応しい方法と立場を身につけるように」といった感じのアドバイスも『ライフサイクルの心理学』には載っており、自分のようなオープンリーダーシップ信奉者には苦手なことなので、貴重な金言だった。